―上京して初めてのアルバイト先が渋谷だったとのこと。
西 作家になりたくて26歳の時に上京したのですが何のつてもなく、アルバイトを探すにも20年以上前の当時はインターネットも普及していないから情報収集もうまくできない。そんな時に、ファンだった大阪発のオーセンティック・スカ・バンド「 DETERMINATIONS(デタミネーションズ)」のCDに同封されていたフライヤーに、渋谷のバーの広告が載っていて、連絡してみたんです。でも全然返事がなく、上京してすぐに心折れて、沖縄の友人宅に1ヶ月間逃亡(笑)。そうしたらそのバーから電話がかかってきて面接してもらえることになり、東京に戻ってきてから無事採用されました。アルバイト先がたまたま渋谷だったわけですが、上京して初めて通った街なので、とても思い出深い街ですね。
―当時の渋谷はどんな街でしたか?
西 渋谷の第一印象は、街歩きがめちゃくちゃ楽しい街だなぁということ。坂も多いし、道もくねくね曲がっているし、細い路地も多い。大きな百貨店はもちろん、小さな店や個人店が点在していて、いろんな表情があって、歩いているだけでワクワクしました。それまでほぼ碁盤の目状に整備された大阪に住んでいた私にとっては衝撃でしたね。好みの書店やレコード店もたくさんあったし、センター街、桜ヶ丘、道玄坂、円山町など、エリアによって雰囲気がガラリと変わるしどこも刺激的。当時はギャル文化も根付いていて、面白い街だから若者がわちゃわちゃ集まってきて、その中にいられるのがうれしかった。渋谷はどんなフィールドの人も受け入れてくれる懐の深さがある。だから若者も安心して遊びに来られたんじゃないかな。再開発によって渋谷の街も変わっていますが、いまだに多くの若者を魅了しているし、いろんな可能性を秘めた街であることには変わらないと思います。
―渋谷では、書店やレコード店をよく巡っていたんですか?
西 〈パルコブックセンター〉〈ブックファースト渋谷店〉はよく行っていました。私のデビュー作『あおい』の発売日に、自分の本を探すために〈ブックファースト渋谷店〉に行ったんです。でもいくら「に」の棚を探しても自分の本が見つからなくて、「あれれ?」と思っていたら、なんと特別な台が設置されていてそこに自分の本が平積みされていたんです。あの時は信じられなかったし、本当にうれしかった。
それに渋谷は“レコ屋街”のイメージが強くて、個性的なレコード店もあちこちにありました。上京して不安な日々を過ごしている時に、レコード店を巡っては音楽に救われる毎日でした。
音楽好きが集まるランドマーク的存在〈タワーレコード渋谷店〉もよく行きます。イベントスペースで好きなバンドのライブを観に行ったり、クラブでたまたま聞いた洋楽のCDを探しにいくことも。あと、待ち合わせにも便利で、すごく分かりやすい場所にあるから、初めて東京に来た友達とも待ち合わせ出来るし、待っている間音楽を聴いていると時間もあっという間で。
それに試聴コーナーがあちこちにあって、いろんなジャンルの音楽を試聴し放題だから、当時お金がなかった頃もよく利用していました(笑)。今もなお最新の音楽&カルチャーの発信基地として幅広い層の音楽ファンから支持を得ているし、ここが変わらずずっとあるのは渋谷の誇りじゃないですか?
―2015年に『サラバ!』で直木賞を受賞されましたが、受賞の一報を受け取った場所も渋谷なんですよね?
西 そうなんです。セルリアンタワー東急ホテルのロビーにある〈ガーデンキッチン「かるめら」〉で直木賞の発表を待ちました。
実はこのお店は、私がデビューする前に担当編集者と初めて会った場所でもあります。作家デビューは、文芸雑誌の新人賞の受賞から始まるのが一般的なのですが、私はその制度を知らず、知り合いに紹介していただいた編集者に『あおい』の原稿を送りつけたことがデビューのきっかけになったんです。その方から連絡がきて会うことになり、アルバイト先が渋谷だというのをお伝えしたら、指定してくださったのがこのホテルのレストランでした。私は胸に「KENYA(ケニヤ)」と書かれたタンクトップを着ていったんですが、当時はそれが一張羅だったんです。一張羅を着て気合を入れようと思ったんですよ(笑)。
ここでお茶しながら「本を出しましょう」と編集者の方が言ってくださり、デビューが決まった。だからその担当編集者との思い出の場所であるここで、直木賞の時も発表も待つことにしました。初めて来た時も、直木賞の発表を待っている時も、カフェラテとケーキを注文しました。でもどちらも人生を変えるような日だったからすごく緊張していて、何のケーキを食べたかは覚えていません。ただケーキがあまりにも大きくてビックリしたのは覚えています。そのサイズ感は今も健在ですね。とてもおいしい! 今日はちゃんと味を覚えて帰れそうです。
―アルバイト先のバーでは、一生の親友との出会いがあったとか?
西 ありがたいことにアルバイトを始めて結構すぐにデビューが決まったし、2冊目で生活も安定したんですが、アルバイトがあまりにも楽しくて、作家になってからも、2年ほど続けていました。そこで知り合った人たちとは今も繋がっています。そのひとりが、安元友子さんこと「やっさん」。そのやっさんが、一緒に働いていたバーの近くで開いたのが〈虎子食堂〉です。
私が入った数か月後に、やっさんがアルバイトとして入ってきました。私の場合、上京してすぐに作家になったので、東京の歴史のほとんどが作家としての歴史とも言えて。作家になってから会った人もめちゃくちゃ多いし大切ですが、アルバイトの時のわずかな、作家でも何者でもなかった時に仲良くしてくれた友達はかけがえのない、特別な存在です。やっさんとは何でも話せたし、彼女がいないと越せない夜もたくさんあった。どんなにしんどい時も、彼女に会って話を聞いてもらうと、最後には必ず笑っていました。多分今もそういう人がこの店にたくさん来ているんだと思います。
やっさんの人柄もそうだけど、料理の美味しさも人気の理由! 特に私はカリビアンチキンカレーがお気に入り。やっさんがお店を開いたばかりの時は夜な夜な飲みにきてつまみばかり食べていたけれど、私が結婚・出産してからは、食事をしに来ることが多くなりました。カリビアンと呼ばれる所以は、ジャマイカ料理のジャークチキン用のスパイスを使ってチキンを漬け込んでいるからだそう。これは本当に絶品なので、ぜひ食べてほしいです。
―西さんにとって、自分の居場所を作ってくれた街である渋谷。この先もどんな街であってほしいですか?
26歳という、少し遅めのタイミングで上京したことを不安に思っていましたが、東京が楽しくなったのは、本当にこの渋谷という街と、渋谷で出会った人のおかげです。やっぱり若い人たちが安心できる街であってほしいですね。どんな服装をしていても、どんなバックグラウンドでも、どういう状況にあっても、とりあえず渋谷に行ったら自分の居場所がある。私が渋谷という街に救われた部分があるからこそ、これからもそういう場所であったらいいなと思います。
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photo:Hikari Koki text:Emi Suzuki