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Column2022.09.15

「今夜、彼女は渋谷で」

Column2022.09.15

「今夜、彼女は渋谷で」

2週間に1度、4回連続でお届けする短編連作小説、「今夜、彼女は渋谷で」。渋谷や渋谷ヒカリエを舞台に、4人の女性がさまざまな悩み、体験を語ります。最終話の第4回は、第3回の主人公・菜穂の学生時代からの友人・柚乃をめぐるお話。渋谷のデザイン会社で働く彼女は、数か月前に、就職を機に地方から東京に出てきた。東京、そして渋谷で働くことに緊張感のあった彼女だったが…。

第1話はこちらから

第2話はこちらから

第3話はこちらから

第4話:「交差点」

 もう何十回も渋谷駅前にやってきているというのに、交差点ではやっぱり、小さく感動してしまうのを止められない。

 テレビで見た景色が、ここにある。

 いつもものすごく人がいることに圧倒されてしまうが、事務所の人たちによると、一時期よりはずっと少なくなった、のだそうだ。電車も毎日ぎゅうぎゅう詰めになっているが、それも前ほどじゃないのだという。嘘みたいだ。

 東京も渋谷も、テレビやパソコンや本の中にしかないのだと思っていた。いや、もちろん、実際にあることくらいはわかっていたが、それくらい遠いものだった。一生無縁で生きるのだろうと思っていた。

 東京で暮らしはじめ、渋谷で働きはじめた今でもまだ、本当だろうか、と疑ってしまうことがある。

 専門学校のwebデザイン科を卒業したものの、そこは地元のマイナーな学校だし、就職先である小さな広告会社でも、仕事内容は主に営業で、デザインとはほぼ無縁に過ごしていた。だから完全に、ダメ元の応募だった。インターネットでたまたま表示された、渋谷のデザイン会社の求人広告。あれがまさか、運命を変えることになるなんて、ちっとも予想していなかった。

 柚乃が東京でやっていけるの、と、最後までお母さんは心配していた。というか今も心配しているだろう。やっていけるかどうかは、わたしだってわからない。だけどここで、東京にいる実感を得て小さく感動しているのは、まぎれもない事実だ。

 わざわざ事務所と反対側の出口に出て、交差点を見ている、という話を、何かの流れでしたときに、その場にいた先輩たちはほぼ笑った。意味わかんない、なんで、と訊ねられても、うまく答えることができなかった。

「ちょっとわかるかも。自分と関わりのない人がたくさんいるのって、なんか落ち着くし」

 そう言ってくれたのは、坂野さんだ。入社六年目で、年齢もわたしより四つ上になる。

 わたしの抱いている気持ちとまったく同じなのかはわからないけれど、少しでも共感してもらえたことが、すごく嬉しかった。

 坂野さんとは今、ペアで同じ案件をやらせてもらっている。コンペに提出予定で、決まれば大きな仕事になる。わたしが出すデザインは、坂野さんのものに比べれば、明らかに稚拙なのだけれど、いつも、ここがいいよね、とさりげなくほめてくれたり、意図を細かく訊ねてくれる。けしてべたべた甘やかす感じではなく、けれどとても優しい。

 就職時の面接練習をしているときに、尊敬している人を訊ねられると、いつも悩んでいた。無難に、母です、と答えていたが、今なら、坂野さんの名前をあげるかもしれないと思う。仕事でトラブルが発生したときでも、いつも落ち着いて対処している。感情の波が全然ない。いつだって穏やかだ。


 

 東京に来たから会えた人。

 多分これから、そういう人たちがどんどん増えていく。もちろん、会いたくなかったと思うような人だってたくさんいるだろう。これからものすごく好きな人ができるかもしれない。ものすごく嫌いな人もできるかもしれない。何もかも未知だ。怖い気持ちも、嬉しい気持ちも、わたしの中に存在している。

 昔から好きな曲を、小さく口ずさんでみる。わたしは渋谷にいる。

 

加藤千恵
歌人、小説家
かとう・ちえ/1983年生まれ、北海道旭川市出身。東京都在住。高校在学時の2001年に、初の短歌集『ハッピーアイスクリーム』を出版。以降、小説も精力的に執筆。近著に『そして旅にいる』、『この街でわたしたちは』(ともに幻冬舎文庫)がある。http://katochie.net/

illustration : Yuki Takahashi

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